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 同窓会旅行の楽しい様子をご覧ください。

タイトル
(2019.11.9〜10)第五回同窓会旅行 高知旅行記
(2017.11.11-12)第四回同窓会旅行 南紀白浜旅行
(2015.11.14〜15)還暦旅行Part2 in Kagoshima 旅行記
(2014.10.4-5)信州還暦旅行
(2011.7.2〜3)平成23年夏 修学旅行アゲイン〜報告
(2019.11.9〜10)第五回同窓会旅行 高知旅行記
第五回同窓会旅行 高知旅行記        令和元年11月9・10日

                       世話役 KENTARO

 先日、隔年で実施されている同窓会旅行を、前回と同様、11月の第二土曜に実施しました。9日(土)岡山駅集合、26名、11:00出発、岡山漁連で昼食、児島学生服資料館を見学、一気に貸し切りバスで高知に向かいました。高知では、坂本龍馬記念館、桂浜を経て、宿泊先の三翠園に宿泊。翌日は、朝食後、日曜朝市、高知城、その後、ひろめ市場で適当に昼食まですませ、大歩危小歩危の遊覧船に乗り、岡山駅で解散しました。ラッキーなことに、両日とも天候に恵まれました。しかしながら運悪く、行きは、瀬戸大橋祭りで渋滞に巻き込まれ、帰りは、岡山マラソン開催とのことから、早めに帰れるよう、事前に行程を多少カットさせていただきました。
 今回は、26名の、品のある人ばかりでしたので、適当な幹事の誘導にも、よくついてきていただきました。徳山からは、さくらの自由席で行こうと呼びかけましたが、ラッシュのごとき満員状況で、皆さん文句も言わず立って岡山まで・・・東京組の多くは、前日入りで岡山観光したそうです。ヒメは、東京駅まで遠いのに、朝暗いうちから頑張って出てきてくれました。岡山駅集合も遅れる人も無く、渋滞等の障害があったものの、スムーズに進めることができました。バスでは、スタートから呑み始め、しっかり酔ってしまいました(サロンバスで後ろのサロン部に座った人だけですが)。停車の度の人数チェックは、カウント中に判らなくななってまして、トモさんが、チェックしてくれたので、なんとか置き去りの人を作らずにすみました。

JF岡山漁連「ふゅ〜ちゃ〜」 (昼食)

 「瀬戸大橋まつり」で交通大渋滞、スタートからスケジュールが遅れるトラブル。現地到着の少し前からバスを降りて歩いてもらいました。(実際は左折まで半ブロックで、交差点を渡り、そこから考慮外で数ブロックありました)漁港の傍に建つ水産物展示直売場ではありますが、旅行も始まったばかり、さすがに生ものを買う人もなく、食事のみ。食事はタコ飯で、バスに乗ってすぐに始まった酒盛りで景気がつき、昼食から、しっかりビールで乾杯してました。

児島学生服資料館

 高校の同窓会旅行ですので、学生服、セーラ服は定番ですね。学生服について初めて聞く話も多く、「楠木公学生服」など、楠木正成、東郷元帥、乃木大将など、勝手に名前を使われていた大らかな時代がうかがえます。展示されている錆の出たホーローの看板、のぼり旗は、対象雑誌の広告を見ているようでした。感激は、アイドルたちの売れる前の広告ポスター、スマップ(結成前?)のジュニア時代の写真、なんたって百恵ちゃんのアップだけでも見る価値があります。
 何人かの男子(前期高齢者)は、学生服を着て撮影してましたが、もったいないことに、女性は誰もセーラー服を着る人がいなかったのは残念です。着られるように徳高のセーラ服を並べておくように交渉しておくべきでした。
 実は、この資料館を運営する制服メーカーが、徳山高校の学生服を納入しているメーカーなのです。そのおかげで、懐かしの制服を特別に展示していただいておりました。懐かしの金ボタン、セーラー服こだわりの井桁!!意識したことはありませんが、単純な重なりではなく、交互に上下となった井桁だそうです。女子は、知っていましたか?

瀬戸大橋

 さすがに瀬戸大橋、岡山と香川を結ぶ1723mにおよぶ道路・鉄道併用橋では、世界最大だそうです。渡るだけで、かなり時間がかかっており、瀬戸内の3島をつないでいるので、結構、曲がりくねっており、渡り始めのつり橋の塔の形と、四国側の塔の形が、全く違うのが一望で見え、感激です。やはり、瀬戸内海は奇麗です。

坂本龍馬記念館

 スタートの渋滞で遅れが出たので、学生服資料館の滞在時間も多少短縮したのですが、龍馬記念館には、かなり遅れて到着しました。山之内氏の城跡とのことですが、近代的なカッコよい建物です。やはり高知では、龍馬は、その名がつく記念館が建つくらいの英傑です。展示品は手紙がやたらに多く、時間もないので、殆ど読まずに通り過ぎました。龍馬が暗殺された時、その部屋にあった龍馬の血のついた屏風(血のあとを見つけるのはたいへん)には、ちょっと感激でしたかね。桂浜で見るはずの夕日を、この記念館から、しっかり見ました。
 何人かは、記念館の前の龍馬さん(銅像)と握手してました。

桂浜

 海は広く、島一つない、これが水平線なんですよね。これを見て育つと、大きな心になるんですかね。ちょっとした島くらい欲しいですね。到着が遅かったので、日の入りを見れませんでした。もともと東向きの浜なので、水平線に沈む夕日は望めません。したがって、記念館から夕日が見れて(到着が遅れて)良かった。引き上げるときには、夕焼けに西の山(岬)の端が浮き上がり、景色として満足です。
 皆で、砂浜で記念撮影をしたのですが、一発目は、波打ち際に近すぎて波を受け、靴、ズボンの裾は”びっしゃ”です。龍馬像に向かう途中、桂浜の端の岩に砕ける波は、太平洋でした。

三翠園(宿泊旅館)

 宿泊は、山之内容堂公下屋敷跡に建つ高知市街で、高知城、朝市まで10分未満のアクセスの良い位置の旅館でした。ポンプは故障で、温泉は露天風呂のみ、構内は工事中で、ちょっとタイミングが悪かったようです。
 申し訳ないことに、到着から宴会まで時間なく、さっさと風呂に入り、7時から宴会で、適当に酔ったところから、皆さんに近況報告をしていただきました。それを話のネタに、周りの人とくつろいで話してもらったと思い込んでおります。
 9時からは、2次会でカラオケで部屋借りでしたが、会議室のような部屋で、広すぎでちょっと持て余し気味。持ち運び用のカラオケセットに、有線のマイクのため、皆にマイクをまわすのがスムーズにいきません。1番縛り、どんどん歌ってもらおうとの目論見も、あまりうまくいきませんでした。皆さん、歌いたい歌は、ちゃんと歌えましたか?カラオケは、度胸と厚かましさです。ちなみに、私は憶えているタイトルの歌を、どんどん歌いながら、過去に浸るタイプです。
 そのあとは、配置的に中間あたりの幹事部屋に集まって、夜更けまでダラダラと飲み続け、話続けて、心地よい時を過ごさせていただきました。
 翌朝、皆さん年のせいか早くから起きて朝風呂に入り、7時からは、バイキング形式の朝食で、後のことも考えず、プレートに盛れるだけ盛って食べてしまいました。

日曜朝市

 高知城の追手門から、かなりの長さで出店が続いていました。最初は、金物店が何件も続いていましたが、その次からの食物関係からが朝市のようで、そこから1kmくらいですかね、往復(追手門から3km)するだけで、結構、疲れました。色々、買い食いしたかったのに、朝食を食べ過ぎました。葉物は安かったのですが、葉物でもキャベツは、そうでも無いかな?地元の人もいて、店の人との方言でのやり取りが、高知にいることを感じさせてくれました。

高知城

 天守閣に至るまで上り坂が長く、天守閣につくまでに、けっこう疲れちゃいました。天守閣の中も、踏み面がやたらと狭い急な階段で、登るのもきつかったのですが、年寄りには下る方が不安でした。近年、鉄筋コンクリートの城が多い中、高知城は木造でカッコよく、天守の最上階からの眺めは極上です。庭園には、白いボールがいっぱいで、昼間はつまんないですが、夜は奇麗なんでしょう。「光の祭り」が開催されているようです。元気のある人は、カップルで来るのと良いですよね。

ひろめ市場

 屋台村のようなところで、大勢が、朝から飲んで、食べてました。「カツオのたたき」は、ならんでいて、なかなか食べれないようでした。宅配を頼んでいる家族思いの人もいらっしゃいました。
 このひろめ市場で、かなり早めの昼食を、勝手に食べてくださいとのことだったのですが、あまり時間もなく、通過しただけの人も多かったようです。昼食代わりに、少し押し寿司のようなものを買ってバスに乗りましたが、2日目の昼食は、この程度とつまみ又はお菓子で十分なようです。(呑んでる人の勝手な意見です)

はりまや橋

 赤い「はりまや橋」をバスの中から、見学しました。インターネットで20mと聞くと大きく感じるのですが、ちんまい橋でした。これは、これで、「ちんまい」との実感を持てただけで、価値があります。

大歩危小歩危の遊覧船

 バスの中から見える山々と深く長く渓谷が続き、山口の山の中と違います。受付から船着き場まで、十何メートルも下りてゆくのですが、階段の下り口あたりに”ここまで水がきたことがある”なんてことが書いてありました。(びっくりです)降りてゆく眼下に見える川の水、すばらしい透明度です。船着き場近くには、大きな魚が、餌を待ってゆったりと泳いでます。
 船に乗る前に、商業ベースの人に促され、記念撮影!この手の写真は買ったことはなかったのですが、今回は、ついつい帰りに買ってしまいました。25人乗りの遊覧船なので、1名は舳先のあたりに座布団をひいて乗船。2億年かけて作られたと言われる渓谷は、隆起した地層が斜めに走り、削り取って作られた川なんですね。地層の向きは、大歩危と小歩危で反対を向いてる・・・など、うんちくをいただきました。ただ、船頭さんの説明は、あまり上手ではなかったような・・・。遊覧ですから、あまり急流ではなく、澄んだ水は、深さによって色が違っており、泳いだら夏でも寒いんだろうなと思われます。

あとがき

 今回の旅行では、皆さん、前期高齢者となり(私は違いますが)、諸々の都合で、参加できない人も多く、少数精鋭になりました。ノブちゃんは、一緒に幹事を申し出ていただいたのですが、行けなくなり残念です。それなのに色々手伝っていただき、カンパまでいただきました。トウリさんも不参加とのことで、積み立てを寄付していただきました。女性陣は、みんな同じ形の色違いのソックスを履いて輪になって写真を撮っていました。申し訳ありませんが、前回の繰り越し、カンパ、しっかり使わせて頂きました。
 次回(2年後)は、東京組が幹事で実施することになりました。富士山の見えるあたりが良いのではないかとの話がでておりました。
 皆さんの協力で、大過なく同窓会旅行を終えることができました。我々に残された、一生懸命遊べる短い時間、その2日間、晴天で楽しい旅を、ありがとうございました。
同窓会旅行の写真です。

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岡山出発 早速酒盛り
昼食会場  岡山漁連 ふゅーちゃー
児島学生資料館 高校時代に戻ります 応援団でしょうか
懐かしの徳高の制服 瀬戸大橋を通過 坂本龍馬記念館
記念館からの夕陽 龍馬とシェークハンドぜよ
桂浜
桂浜 後ろから波が・・・
太平洋が見ちょるぜよ 桂浜 坂本龍馬像
いよいよ宴会の開始
欠席の通山くんから女性陣へ靴下のプレゼント 全員で記念写真
おはよう 宿泊した三翠園の玄関で 日曜朝市
高知城 大歩危
大歩危遊覧船
岡山駅 迎えてくれた辻君と 幹事渡辺君力作の「旅行のしおり」
(2017.11.11〜12)第四回同窓会旅行・南紀白浜旅行
第四回同窓会旅行・南紀白浜旅行記     平成29年11月11・12日

                        世話役 SAI

 11月11日いよいよ南紀白浜旅行の日がやってきた。一時はあきらめていた一日目の天気は、夜中の2時ころ激しい雨が降ったあと寒冷前線が通過。午後からは望外の晴天に恵まれた。
 朝、東京組は東京8時10分発、徳山組は徳山8時50分発、の新幹線に乗り、新大阪駅で関西組と合流。次いで在来線11時15分発の特急くろしおに乗車。東と西から旅人を迎えた後の進路は南。途中天王寺でTeresaさんが合流し、あとは一路白浜へ。
 くろしお車内では早くも酒盛り。新幹線からの乗り継ぎ組は一足早く始めていたようだが、ともあれ酒浸りの一日いや二日が始まった。

アドベンチャーワールド(ADVW)

 白浜駅に定刻の午後1時35分に到着。予め駅前で待機中の中紀バスに乗り込み最初の観光先アドベンチャーワールド(ADVW)へ。
 一日かけてゆっくり遊べるADVWに割いた時間は2時間15分。アニマル・アトラクションとマリンライブ(イルカショー)に、サファリパークをまわるケニヤ号は外せない。その合間を縫ってパンダのいるパンダラブとブリーディングセンターを回る忙しさ。
 動物たちの少し滑稽でほのぼのとしたアニマル・アトラクションや、多くのイルカが一斉にジャンプしてみせるマリンライブの迫力を楽しんだあと、ケニヤ号乗車に時間を削られながらパンダとのご対面。

千畳敷

 予定を10分ほど遅れて千畳敷へ。ここは、南紀の太平洋と夕日観賞をうたった観光先だが、一時覚悟していた雨天の場合はカットするつもりだった。ところが一転、強風ながらも晴天に恵まれ景観は最高!
 岩場の撮影スポットまで下りて写真撮影を済ませ、戻ってみると夕日は西の水平線の少し上。みんな岩に腰掛け、あの夕日が水平線に沈むまでは梃子でも動かない、といった風情。
 まん丸だった夕日が水平線に触れた瞬間、下側の輪郭が水平線の左右から引っ張られたように広がり、徐々に水平線の下に沈んでいって、夕日上端の最後のかけらがスッと消えたとき、水平線を境にこの世とあの世がひっくり返るパイレーツ・オブ・カリビアンのワンシーンがフラッシュバック。みんな感動の面持ちで拍手。
 別に日没時間を調べて予定を組んだわけでもないのに、時計を見ると千畳敷観光の終了予定時間の午後5時ほぼちょうど。まるで天に祝福されたような一日目の観光だった。

ホテル三楽荘

 一日目の観光を終えた千畳敷から5分少々の宿・ホテル三楽荘へ。バス乗車時の人数確認は、アシスタント・スタッフのユウちゃんが用意してくれた点呼表に各人がチェックを入れる、という画期的な方法でクリアー。
 三楽荘に着くと宅急便が届いていた。シールを見ると送り主はマッハンさん。部屋であけてみるとお酒2本にたくさんのおつまみ。おつまみが食べきれなかった場合のビニール袋まで用意されていて、心配りに奥行きを感じさせる。宴会の初めに報告することにして、ありがたく頂戴する。
 温泉で一日の汗を洗い流し、7時から宴会開始。6時半ころには最後の合流者・ケンちゃんもホテルに到着するはずだったけど、遅れているようなのでとりあえずケンちゃん抜きで開始。

一次会

 会長のミヤちゃんから挨拶してもらい、前会長のクマさんが乾杯の音頭。卒業アルバムの顔写真を転載した栞の持参を促していたので、くじ引きでアットランダムな席割でもそれぞれお話が弾んでいるよう。
 7時20分ころ、部屋にもよらず宴会場に直行してきたケンちゃんを迎える。しばらくそれぞれの席で隣り合わせた人との歓談と料理を楽しんでもらい、7時50分ころから初参加の人のスピーチ。
 トップバッターはケンちゃんに決めていたので、すこし今回のグループに溶け込む時間をおいた。そのぶん座がそれぞれに分かれてしまって、スピーチしにくいきらいも。しかしケンちゃん最初の一声で、座の全員の視線を自分一人に集めてしまう。だみ声と言えばだみ声だろうけど、人の注意を惹きつける力を秘めている。
 二番目は東京組のあずさ2号氏。二次会のカラオケではメドレーで歌ってくれるよう依頼しておく。三番目に徳山組の重役スミさんを指名した後は女性陣四人。関西組のTeresaさん・シゲ子さん、中部地区からのミチ子さん、東京組のひさこさん。
 初参加の人に、初参加でいきなりスピーチは荷が重すぎるかもしれないと思い、こんな風に話してもらえたら、などと栞でナビゲートしていたものの、そんな必要全く無し。
 皆さんそろいもそろってお話上手。夫を意のままに操ると豪語する裏に、円満な家庭生活を垣間見たのは僕だけではなかろう。関西組のシゲ子さんなど機関銃のように言葉がはじけだしてもう、止まらない・堪らない。関西のおばちゃん・大阪のおばちゃんのあのお喋りパワー、にひとひねり加えたアマ(尼崎市)のおばちゃんパワー全開。シゲ子さん、尼崎市の中でも高級住宅地のほうだと強弁。そういう問題じゃないんだけど。
 再び男性に戻り東京組のアダッちゃん・関西組のユウちゃん・イトちゃんでスピーチも終わり、中締めは前回世話役のマッちゃんからの挨拶。2年後の同窓会旅行の世話役の紹介があった。全権委任されるので、世話役が「次はハワイで」と言ったらハワイでするのだそう。

二次会

 二次会は隣のカラオケラウンジで。楽しみにしていたあずさ2号氏の歌を初めて聞けた。あずさ1号氏も負けずに美声を披露。東京組の独壇場かと思っていたら、途中から異変が。
 だみ声と思っていたケンちゃんの声って、妙に艶っぽいのだ。さらに中部地区のミチ子さんがなかなか雰囲気のある選曲で2曲をつづけ、「厚かましくも2曲つづけてしまいました」と断ったことでかえって男性陣の心に火をつける。男性にとって女性のこの手の厚かましさは、いつでもウェルカムなのだ。
 徳山組重役氏の尾崎紀世彦・マッちゃんの吉田拓郎やアダッちゃんの音感バッチリの歌に、関西組からユウちゃんが渋さ抜群の歌声を披露。
 ケンちゃん再び登場して艶のある歌声を披露する合間に「どや!これが大阪のおっちゃんやで!どや!どや!」と、ドヤ顔で東京組 (わけてもあずさ1号・2号氏) を煽ること煽ること。
 追い詰められた感のあったあずさ1号氏と2号氏だったが、ついに切り札の『あずさ2号』(狩人)を選曲。渾身の歌声を披露。絶品だった。
 自分達でも会心の出来だったと納得できたのか、曲後二人でハイタッチを交わしていたが、その姿に不動と思われてきたカラオケキングの座を脅かされた危機感を見た、のは一人僕だけだろうか?
 それにしても、2月だったか、大阪駅前の美々卯に関西事情のメンバーで集まった時、旅行の世話役になったという僕に「何か手伝うことないか?」と聞くので、「カラオケの時に歌うたってくれ」と答えたら、「今更カラオケか?」と言ってたものだ。ケンちゃんとユウちゃんの活躍ぶりを眺めながら、イトちゃんと二人その話を持ち出し、あれはいったい何だったんだ?と呆れ顔。
 二次会終了後、「今までこんなに楽しかったことはない」と言っていた、あずさ2号氏の嬉しそうな顔が今も目に浮かぶ。

三次・四次会

 三次会は8部屋通しで割り当てられたうちの中央に近い男性部屋。隣部屋からも運び込んだテーブル上は酒瓶で林のよう。さすがに林のように立ち並ぶ酒瓶を片っ端から空にし続けることはかなわず、12時を15分ほど過ぎたところでいったんお開きに。お風呂が夜は午前1時までなので、もう一度入りたい人は入れる。でも、一風呂浴びて部屋に戻ると四次会をやっていた。カツ治くん、ユウちゃんのスキンシップはいいけど、その怪力ぶりに辟易。翌朝四次会の記憶が殆んどないと言ってたユウちゃん、相当酒浸りだったよう。

二日目

 二日目の朝は、5時から開いているお風呂に入り、7時20分からの朝食の前に、何人かの人はホテル前の白良浜を散策。三々五々朝食の席に着くと横のほうでは早速ビールの注文。朝からビールかい?と見ていると、トモちん「家でこねーなこと(朝からビール)したら、はー嫁さんにぶちおこられるいね」と漏らしながらも嬉しそうに飲んでいる。この旅行は正月並みに羽目を外せるようだ。
 7時20分には全員朝食を始めている、と思ったら一人だけ欠けていた。ユウちゃんだ。30分を過ぎ、さすがに心配になったミヤちゃんが部屋を見に行ってユウちゃんを連れてきた。試しにビールを勧めてみたら仲居さんに水を所望していた。
 ホテル前で記念写真を撮って8時半に出発。円月島を車窓から眺めながらとれとれ市場へ。ケンちゃんここでも自販機から缶ビール。「試食見てたら飲みたくなるやん」 とれとれ市場でお土産を仕入れ、二日目の観光先・絵解き説法が聴ける道成寺へ。
 道成寺の絵解き説法は、期待にたがわず最後まで聞く人を惹きつけて離さなかった。山口県からの来訪者、と我々のことにも触れながら、流れるような話しぶりでウィットに富んだ説法は、時間のたつのも忘れさせた。
 道成寺を後にした我々は、最後のスケジュール、がんこ六三園での昼食へ。旧松井家別邸だった六三園では、庭園に面した一部屋が我々専用の予約席になっていた。先に部屋に入った男性陣から、庭に面した席を女性に、庭に背を向けた席を男性に、という提案。徳高男性陣もなかなかやるね!
 この旅行で皆がそろったビールの乾杯は、がんこ六三園が最後。しばしの歓談ののち、特急くろしおの時間に合わせてJR和歌山駅へ。
 新大阪駅では、今回我々とずっと一緒にいてくれた徳高25期同窓会旗が東京組の手に。
 一日目の新大阪駅で、僕が持参した旗棒にミヤちゃんが旗を括り付けて完成した同窓会旗、これからもみんなに愛されることでしょう。貴美子さんマッハンさんどうもありがとう。  そして旅人達は再び西や東に。

夫レ 天地ハ万物ノ逆旅(げきりょ・旅館の意)ナリ 光陰ハ百代ノ過客ナリ

またお会いできる日まで、それぞれの旅をつつがなく。では



同窓会旅行の写真です。

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東京組新大阪へ 東京組新大阪到着 新大阪で合流
久々の再会で記念撮影 特急くろしお乗車前
13:35白浜温泉到着
白浜駅前で記念撮影
バスに乗って出発 これからアドベンチャーワールド
アドベンチャーワールド到着
 
25期の旗と共に パンダラブでパンダと対面
 
アニマルランドでの
アニマルアクション
ブリーディングセンターのパンダ
ビッグオーシャンでの
マリンライブ
イルカに乗った青年
ケニア号に乗車して
サファリワールドへ
パンダラブ 1歳の結浜?
千畳敷
南紀の太平洋と夕陽 
16:58 サンセット ホテル三楽荘での宴会
宮本会長のあいさつ
坂本前会長の乾杯 宴会の始まりだ
遅れてきた謙ちゃん 初参加者のスピーチ
重役スミさん
Terasaさん ミチ子さん シゲ子さん
ひさこさん アダッちゃん ユウちゃん 前回世話役マッちゃん
今日の締めくくりに記念撮影
二次会 カラオケ
大阪のおっちゃん
あずさ2号 三次会
次回旅行幹事はナベちゃんに決定 朝の白浜海岸
ホテル前で全員集合 昨夜あれだけ騒いでも皆さん元気
白浜海岸 白浜シンボル 円月島 道成寺
昼食会場 がんこ六三園 昼食もおいしい
六三園で記念撮影
和歌山駅からくろしお乗車
新大阪到着 ここで東京・徳山・大阪組が分離
旗は東京組へ引き継ぎ また2年後に会いましょう
旅のしおり 幹事の力作
バスで配られた徳山高校合格発表の記事
(S45.3.18徳山公論)
アドベンチャーワールド パンフより 道成寺 パンフ
追加
アドベンチャーワールド
ケニア号
(2015.11.14〜15)還暦旅行Part2 in Kagoshima 旅行記
還暦旅行Part- 2 in Kagoshima 旅行記 
                   担当幹事 KS & YM

何はともあれ、大きな事故もなく、誰一人病気で途中リタイアということがなかったことに幹事一同安心しています。35名の皆様お疲れ様でした。
早速、記憶が薄れぬ内に、旅行記を書かせていただきます。幹事二人に長年住んだ鹿児島へのセンチメンタルジャーニー的な一面があったこと、現在の姓でのイニシャルで学生時代に戻り、男子は「君」女子は「さん」と表記することを原則としたことを、ご了承いただきたいと思います。

11月14、15日の二日にわたって計画されましたが、それでは物足りない勿体ないといった方々は、13日午後に鹿児島入りしました。羽田空港の出発ロビーではワクワク感と少し不安な様子が伺えます。(写真1)快適な気候であった東京から2時間弱のフライトを終えて、鹿児島空港に降り立った時には、「テルテル坊主」の甲斐もなくあいにくの雨模様。企画していた城山展望台からの絶景を含むプチ市内観光ができずに残念でした。午後7時には東京からの11名に徳山からのT君を加えた12名が「さつま路」に集合し、鹿児島の郷土料理や焼酎を堪能した後、いつもなら二次会に流れるのですが、明日からの本番に備え早々のお開きとなりました。後は朝11時の集合を待つのみと思っていましたが、まさか想定外の事件が起こるとは…

桜島の噴火が二か月以上みられていない事自体は朗報だったのですが、鹿児島を熟知している幹事はなんとなく嫌な感じを持っていました。夜中の強い雨足のせいもあり熟睡できなかった明け方に、何と震度4の地震が発生したのです!!川内原発が稼働してから日も浅かったこともあるのでしょう。幹事Mの自宅の周辺では緊急放送が響き渡り、防災ヘリが飛んでいる状況はその後の展開に一抹の不安を与えるには十分すぎるインパクトでした。ホテル宿泊組の安否を確認し、観光バスの発着所となっている鹿児島中央駅西口に10時前に到着。新幹線の運行を確認しつつ、買い出しを済ませるうちに、山口からの先陣隊に当日到着組も合流し、新幹線組も定刻通りに到着、晴れて合流できました。
バスの中では、幹事Mの知人からの差し入れ(グリコのお菓子セット)、旅行会社から提供された郷土菓子に、KさんとFさんが中心になって準備してくれた栞を全員に配りました。そして、飛行機の出発が遅れたA君とH君がようやく到着し、11時10分全員集合と相成り、鹿児島市内を離れ、南九州へと南下しました。

最初の目的地は、錦江高原ホテル。43年前の修学旅行では女子のみの宿泊となった高台にあるホテルです。ところが、あいにく先月末で閉館とのこと。スタートで躓き、雨足も少し強くなってきました。ホテルに続く道が途中で進入禁止に加え、急に発生した霧のせいでホテルの外観さえ確認できません。つくづくこことは縁がないものだと誰しも思ったことでしょう。けれども、この時の時間短縮によって、予定外の観光ができたわけで、何が幸いするか分からないのは世の常ですね。
知覧の武家屋敷を車内から眺めながら、特攻記念館に到着。「豚しゃぶ膳」と称した昼食を済ませた後に記念館に入場。飛び立つ前に本人によって書かれていた遺書には圧倒されます。文字のきれいなこと、祖国・家族(とりわけ母親)を思う気持ち ― 幕末から明治にかけて日本を牽引していった長州藩も、行く末の悲劇は想像していなかったでしょう。多大な犠牲の上に生活できている平和の有難さを皆さん感じられたことでしょう。(写真2)
「イッシー」で有名な九州最大の大きさを誇る池田湖でしばし休憩した後、なんとか天気も持ちそうなので、長崎鼻に向かうことにしました。ここは薩摩半島の「すんくじら」(標準語訳:端っこ)に位置し、今では竜宮伝説よりも、サスペンスドラマの舞台によく使用されていることで有名な景勝地です。(写真3)左手に内海である錦江湾、右手に外海の東シナ海と二つの海が同時に見える雄大な自然に、数名のやんちゃな還暦男子・女子は、岬の突端まで、歩いていったのでした。(写真4)
バスは指宿市内に入り、午後5時前には、本日の宿泊ホテルである「白水館」に着きました。待望の砂蒸し温泉が堪能できる!! 宴会までには2時間あるので十分余裕があると思ったのが大間違いでした。砂蒸し温泉での入浴が時間待ち、大旅館のため館内の移動に相当かかる、そして化粧時間が足らない…などが重なり、宴会の開始は15分遅れてしまいました。次回の幹事さん、移動と化粧に時間がこれまで以上にかかることをお忘れなく。

幹事の開始挨拶に続き、次期会長予定のM君に乾杯をお願いしました。次期会長は「にしむら」で、10数名の推薦で決まったとのことですが、今回は35名の承認が得られたので、決定です!
この種の宴会での会席料理はそれほどおいしくないのが常ですが、結構おいしかったですね。食事も進んできたので、余興に移ることにしました。
まず、フリートークを4名にお願いしましたが、「高校時代の自分に、今の自分が伝えたいこと」を披露してくれたのは、S君でした。高校入学直後の男子には誰しもあった上級生に対する淡い憬れを今だからこそ言える生々しい肉声に「ひったまがった」(大変びっくりした)のですが、S君は当然そこまでの反応を計算していたのでしょう。女子の皆様、あなた方も3年生の時には1年生の男子から同様のまなざしを向けられていたのです!!
そして、いよいよバージョンアップしたスライドショーの始まり始まり。今回は男女ほぼ同数だったので、男女無関係のくじ引きで席順を決めたのですが、やはりこういう場合のくじ運ってありますね。女子に囲まれた幸運な男子がいた反面、左右向かい全て男子という所(写真5,6)もありましたが、宴会も半ばを過ぎると入り乱れての丁度いい感じになってきます。
「皆様のご協力のお陰で250枚程度になりました。4年前の箱根旅行、3年前の地元での同窓会で使わなかった写真も今回は入れました。加えて、高校卒業後からの20-30歳代の写真もお願いしました。これで、70 - 80 - 90 - 00 - 10年代の写真が勢揃いです。写真の登場人物に偏りがあること、自分にとっては不本意な画像があるかもしれませんが、ご容赦下さい」と前置きした後、スライドショーは始まり、約30分流されました。昔の写真、最近の写真をネタに、話題が広がったのはいうまでもありません。「あの娘は誰?」との疑問に答えられるように、K君は三次会に卒業写真のコピーを持参していました。
あっという間に二時間は経過し全員集合写真を撮って、二次会に移動しました。(写真7)会の中締めを頼んでいたT君、申し訳ない、忘れていました。

二次会は恒例の大カラオケ大会。常連の歌自慢に交じって、「えっ、あの人がこんな唄を」といった驚きも続き、あっという間に二時間が過ぎました。当初、20名と10名の部屋しかなく、「二つに分かれてもね」と心配していたのですが、50人が入れる部屋が手配できたのはラッキーでした。さらに、当日は、持ち込みOKとしてもらったので、持参してもらったアルコールを少なくするにはうってつけでした。最後は、25期の恒例になった、肩を組んで「遠い世界に」の大合唱。幹事を助けてもらったKさんから、「この時に、各自が持参したプレゼント交換をすれば」と提案されたのでそのアイデアを取り入れることにしました。歌い終えた後に手にしたプレゼント、いかがだったでしょうか?(写真8)
夜11時を過ぎて、男子部屋に三次会の舞台を移します。当初準備されていた5人部屋の隣に別のグループの部屋があることが分かったので、急遽、4人部屋に変更しました。少し狭くはなったのですが、結局、温泉の二度入りを楽しむ人以外全員が集まってきて、立錐の余地もないほどの缶詰め状態です。旅行を始める前の心配事項の一つが、アルコールが足らないのではないか?ということだったのですが、杞憂だったようです。宴会で飲み足らなかった方、カラオケでエネルギーを使ってしまった方ののどを潤すワイン、ビール、日本酒、焼酎…みなさん、本当によく飲まれますね。話は尽きず、午前1時も過ぎようとしたので、漸くお開きになりました。ストップの声がかからなければ、延々と続いていたかも。(写真9)

当初の曇り予報から予想に反して晴天となった二日目は、絶好の観光日和。気温は24度と11月の鹿児島にしてもやや高めでしたが、指宿から錦江湾沿いに鹿児島へと向かう国道を晴天の中で走れるとは何たる幸運!!長年、鹿児島に住んでいても、この日のような景色にそうそう巡り会えません。桜島の稜線、山肌の何と美しいことか!!二人の幹事が愛してやまなかった桜島の魅力が、皆さんに分かってもらったようで、とても晴れやかな気分になりました。
 市内からフェリーに乗って、目の前に桜島が迫ってくる風景は、修学旅行の時には雨模様だったので、今回は是非味わってほしいシーンでした。(写真10)期待以上の圧巻だったと思いますが、それと同等の衝撃が袴腰港に着いた時に起こりました。H君がいないのです!まさか、海に…と思った瞬間、電話が入り、歩いて下船したとのこと。あれ程、お気に入りのガイドさんが「必ずバスに帰ってきてくださいね」といっていたのに…
 桜島には三つの世界一があります。「世界一の活火山」「世界一大きい大根」に「世界一小さいみかん」です。有村展望台では、最接近した桜島を楽しみつつ(写真11)、初出荷となった「小みかん」を味わった方もおられたようです。
磯庭園(仙巌園)一帯は、最近、世界文化遺産に指定された日本最初の工業地帯ともいうべき観光スポットですが、桜島を借景に使った庭園は、日本三名園に勝るとも劣らないと思います。(写真12)二日酔いのお腹にはちょうど心地よい「奄美鶏飯」の味はどうだったでしょうか?

予定された全てのコースを済ませた車中では、前日のフリートークに続いてS君が、専門家からの立場でちょっとした話を披露してくれました。そうこうしているうちに、バスは鹿児島空港に到着しました。飛行機で鹿児島を離れる仲間を、新幹線組が見送ったわけです。43年前の記憶を埋めることができたでしょうか?それにも増して、改めて25期の強い連帯感を確認できたことでしょう。
かごっま弁(鹿児島方言)を操り、H君のツッコミにも軽妙に返してくるガイドさん(写真13)は、男女を問わずあっという間に参加者の心をつかみました。そして、安全運転を心掛けられた運転手さんがいなければ、今回の旅行を満喫できなかったでしょう。会計報告は、参加者全員にしましたが、100円ちょっとのプラスに留まりました。これも参加者一同の皆様のご協力のお蔭です。
万歩計によれば、一日目は平均6q、二日目は平均5qを歩いたことになります。旅行後に足腰が立たなくなった方がおられるかもしれません。足腰を鍛えられ、次回また参加しましょう。

◆ 幹事の心残りであった点:
1. 旅行名を「還暦旅行part-2 in Kagoshima」のままにしていたこと。
「徳山高校25期同窓会旅行」にしておけばよかったですね
2. 白水館の規模の大きさ、人気の高さが予想を超えていたこと。
宴会開始まで2時間取ってあったので、十分時間があると思っていましたが、女子の皆様には化粧の時間が十分とれずに急がせてしまい、男子の皆様には少し待たせてしまいました。

◆ 次回幹事への提言:
ますます高齢化してくるので、日程に余裕を持ち、移動はゆっくりと!
できればリッチな気分になれる宿泊施設、食事が望ましいと思います

◆ まとめとおまけ
三つの「びっくりポン!」
旅行当日朝、予想だにしなかった震度4の地震に「びっくりポン」
目指す錦江高原ホテルは先月末の閉館に「びっくりポン」
桜島フェリー下船時H君行方不明で「びっくりポン」
(あるいは、忘れ物無事に戻って「びっくりポン」)

未だに頭から離れない三つのフレーズ
  原かっこいいシゲちゃん
  ナ・ナ・ナ・ナ・ナ ナイアガラ
  「へ」「へ」「へ」(灰、ハエ、屁)違う意味なのね、へえーっ!


@1113出発前の羽田空港            C1114長崎鼻

A1114知覧

B1114長崎鼻

D1114白水館宴会               E1114白水館宴会

F1114白水館宴会

G1114白水館宴会 二次会           H1114白水館部屋飲み

I1115桜島フェリー              L1114長崎鼻 ガイドのまゆみさん

J1115桜島有村溶岩展望台

K1115仙厳園
(2014.10.4-5)信州還暦旅行
 H26年10月4日(土) 台風18号接近中という予報を心配しながら、ついに25期 還暦旅行の日がやって来ました!

一部の七夕メンバーに早めに集合してもらい、アルコール類の調達をお願いしていたのですが、ゾロゾロとコンビニに行く後ろ姿は、はや嬉しさを隠し切れない60歳!!そして掲示板に書き込んだ、例のけしからんメールの差出人も現れました。「あのメールはいかん! アイツを真っ先につぶせ!」というキョージュの指令が出たので、ブチ殴るのはやめましたが・・・。

 定刻の10時前に新宿駅西口を出発。中央道にのってすぐ、「小仏トンネル辺りで事故渋滞!」との情報が入り、幹事二人は(松本駅で徳山組を、あまり待たせたら悪いね)と青くなっているのに、サロンバス後方の連中は(そんなこたぁ 知ったこっちゃなく)・・・早くも大盛り上がり!! 

積み込んだアルコールは、アッ と言う間に奴等の胃袋の中に流し込まれたのでした。「もうないよ」と言ってるのに、未練がましくバス前方の保冷BOXを覗きにきた輩が、複数名いたことも、ご報告しておきます。ビールのせいか? トシのせいか? 何ちゅうても小用が近いので、トイレ休憩をとりながらやっと渋滞を抜け出し、徳山組の乗った列車が着く、ぴったり2時頃、松本駅到着!松本空港から合流の下関の田中君ともども、徳山組と感動の再会を果たし、ホッ!!

 トイレ手作りの可愛い25期の団旗を振りながら、まずは重要文化財の「旧開智小学校」へ。この校舎はS38年まで約90年間に渡り使われていた、国内で最も古い校舎のひとつですが、東西南北の風見を配した八角塔がそびえ、舶来のギヤマン(ガラス)が散りばめられた凝洋風建築の洒落た建物です。使い込まれた傷だらけの、小さな木製のふたが開くタイプの机と椅子も懐かし〜い。中の教育資料は、何と10万点! さすが教育県! という感じです。「あまり期待してなかったけど、すごい! もっとゆっくり見たい」の声も聞かれました。

 そして次は国宝「松本城」へ。階段が急なので、足もとに自信のない10名あまりは残り、他の皆は最上階の天守に上りました。あいにくの曇り空で、景色はいまひとつのようでしたが「ステキなお城だね!」の声に、松本出身のミスター清沢も、にっこり!!

 少し肌寒くなってきたので、お城を出て本日の宿泊先、浅間温泉のホテルへ。ここで仙台から参加のナベさんと合流。それぞれの部屋で(今回はクラス別)休憩後、大浴場で汗を流し(広い窓から見える信州の夕焼けがきれいでした)一応化粧をし直して、6時半宴会場に集合。まずは坂本会長のご挨拶です。25期同窓会の基盤を作ってくれ、亡くなって7年・・・今もなお精神的支柱である中村朗氏のこと、そして還暦の年の今日、ここに集うことのできた幸せに感謝しよう! とのお話でした。キョージュの乾杯の音頭で、宴会スタート! 

 お料理は旬菜七点盛りの前菜をはじめ、甘エビ・帆立・信州サーモンなどのお造り、鶏つみれ・冬瓜などの焚合せ、信州牛ときのこの石焼、秋刀魚香り揚げ、茶碗蒸しなど盛りだくさんで、食べきれないくらい!皆さんのお腹も落ち着いた頃、恒例の一人3分間スピーチ! といきたいところでしたが、今回は人数も多いので、幹事の独断で用意したサイコロ(タケがドンキで買ってくれた)を転がしてもらい、あらかじめ用意した高校時代限定の質問に答えていただくという趣向にしました。この6つの質問、私が何日も悩んで決めたものだったのですが、いざ始めてみたら皆の関心は、ただ一つ「高校時代、好きだった人・あこがれていた人を白状してください」

そして・・・さすが還暦! もちろんアルコールが入っているせいもあったのでしょうが、高校生の頃の恥じらいや遠慮は一切なく、でるわ・・・でるわ・・・笑
○○さんに告白したら「他に好きな人がいる」と言われ、それから気持ちを切り替えて勉強に集中、無事大学に合格できた。
○○君と交換日記をしていた。一度だけ動物園でデートした。○○君と付き合っていたけど、お別れした。等々・・・
「還暦実名大告白大会」となりました。なかで佐井君が「高校時代に戻れたらと」いう質問に剣道と宮本武蔵の話をしてくれ、逆に新鮮でした。

お開きのあとは、カラオケルームへ移動です。一人千円以内で持ち寄った赤い還暦グッズは、中身が分からないので、用意していたビンゴゲームは取りやめ歌った人が貰えるということにしました。ラッキーなことに、今回の旅行には軽音学部の美女たちが参加してくれており、文化祭での美しいハーモニーの再現にうるうるきたのは、私だけではなかったと思います。ソーチョーの「クレヨンしんちゃん」や伸子ママの「俺ら 東京さ 行ぐだ」も場を沸かせてくれました。

3次会は、3の2の大部屋へ。実は我が藤野学級は、今回一番! 8名の参加で、今も続く仲良しクラスぶりを証明。夜の語らいに酒が要る(まだ呑むんかい!!)ということで、日頃奥さんにジャマにされている(らしい)男子3人と女子1人の「なんちゃってゴルファーズ」が、暗くて寒いなか、名札をつけたまま買出しに行ってくれ、ほとんどのメンバーが、夜が更けるのも忘れて語り合いました。ソフトバンクのおエライさんが「今日は家に帰らなくていいんだ」と嬉しそ〜うに言ったのが可愛かったです。

 それぞれの部屋に戻り、寝たのは何時だったのか不明ですが・・・天気予報どおり翌朝は、やはり雨・・・。朝食後、帰る支度をしロビーに集合、記念写真を撮ったあと、いざ安曇野へ出発! 皆さんまだまだ元気です。車中では、キョージュが資料まで用意「賢い患者学・予防医療から先制医療へ・生命誕生の奇跡」など専門の医学情報を分かりやすく、丁寧に、しかもタダで話してくれ感謝。

 「大王わさび農場」は、15ヘクタールにおよぶ日本一のわさび田です。晴れていれば、ここでたっぷり時間をとり散策してもらう予定でしたが、やむなく入り口からすぐの水車小屋と、わさび畑の一部および売店を見たあと、添乗員さんと相談の上、近くの「スイス村」(お天気なら乗馬体験もできる所なんですよ)でまた、買い物を楽しんでいただきました。

 それからお待ちかね! 安曇野「そば庄」店で、信州そば・天ぷら・野沢菜おやき・茶碗蒸しの昼食を美味しくいただいた後、また松本駅へ。車中、今度は佳子ちゃんが、現在ご主人とやってらっしゃる会社のことや、ご実家のホテルの今後のことなど話してくれました。具体的なことは、まだまだこれから・・・とのことですが、周南の皆様との繋がりを大切に、お知恵も拝借したいとのことです。

 楽しいときを一緒に過ごした徳山の仲間たちとのお別れは、予想以上に寂しいものでした。若いときと違い、(もしかしたら、さいごになるかも・・・)なんて思いも、胸をよぎります。

 台風ますます接近で風雨が強まるなか、またもやバスの中はカラオケ天国! 歌のチョイスは昭和56年生まれの添乗員さんは「知りません」というものばかりでしたが・・・。「高校3年生」→「遠い世界に」の大合唱で〆たところで、午後6時すぎ、無事新宿西口に到着しました。

 信州生まれと九州生まれの私たち二人が、瀬戸内海に面した工業都市の高校で知り合い、夫婦となって人生の節目となる還暦の年に
旅行の幹事を務めさせていただいたことは、大きな思い出になりそうです。皆さまのたくさんのご協力に、心より感謝申し上げます。 

清沢晃・啓子












(2011.7.2〜3)平成23年夏 修学旅行アゲイン〜報告
「平成23年夏:修学旅行アゲイン〜報告」 
               当番幹事 松田義雄、原田(山根)洋子

徳山高校25期七夕同窓会10年目を記念した旅行は無事終了しました.大震災から数か月経ったとはいえ, まだまだ不安定なこの時期に, という意見もありましたが, その一方で, 「予測できない時代からこそ, 今を楽しもう」との意見が多数を占め, 計画がまとまった次第です.
二, 三日前まではぐずついていた天候も, 我々の熱い思いが通じて, 当日はこの上ない観光日和となりました. 幹事以外の登場人物はイニシャル(男性は苗字、女性は名前)で表しますので,皆さん当ててみてください.
 集合場所は新宿駅西口. 写真1はYさんと原田さんが、新宿の路上で会費を徴収している信じられない光景です。無事に集金できてよかった!
予定通りに12時50分ぴったりの出発.サロンバスを準備していて大正解でした. 日が高いうちからのアルコールは最高です(写真2). 山口から初参加のH君は早くも全開モード,ハイテンションは翌日の昼過ぎまで持続していました(でも,彼なりに気を使っていたことを, 皆お見通しでしたよ).
 バスはいよいよ「箱根」へ. 正月の大学駅伝往路の名物コースをバスの中からですが,実感できました.強羅から早雲山まではケーブルカーで移動. そして, 早雲山から大湧谷までのロープウェイからの絶景を堪能しながら, 大涌谷へ到着しました(写真3). 一個食べると7年寿命が延びると言い伝えられている名物の黒玉子をたくさん買って, 芦ノ湖遊覧へとさらに移動. 海賊船に乗り込む前の全員集合写真です(写真4).写真を撮ってくれた20代のカップルに「高校卒業40年目だよ」と説明すると,「素晴らしいですね」と言っていました.
ホテルに到着し,いよいよ宴会スタートです.その目玉として, 高校時代の懐かしいスライドショーを行いました(写真5, 6). セピア色に変色していた写真や, カラーとはいえないような(?)写真(写真7, 8)も提供されましたが, 昭和46,7年当時は白黒からカラー写真に移り変わる転換期でもあったことが改めて思い出されました. 高校入学から卒業にかけての「あの頃,君は若かった」映像に笑いが絶えない一次会となりました.みんないい笑顔ですね(写真9)!
幹事はスライドショーの準備に忙しく, 高校時代の修学旅行のエピソードを紹介し忘れていました. 旅行が始まるや, 併学を余儀なくされた男女は急速に親しくなっていったのですが, あいにく三日目鹿児島での宿泊予定先の旅館が工事中のため同宿でない事が伝えられました. 女子は高台にある「錦江高原ホテル」, 男子は市内中心部に位置する「中原別荘」と分宿になったのです. やるせない思いを代弁(?)して, S君が「どうしてこんなに悲しいのだろう」(吉田拓郎)をバスの中で歌ったのを思い出しました. ふてくされた男子の数名は, イモ焼酎を買って飲んだとか飲まなかったとか, 真相は薮の中です…
毎年恒例となった「すし詰めカラオケ」も一層激しさを増し, 室内温度を下げても下げても涼しくなりません. 加えて, H君が歌う「えも言われぬ替え歌」オンパレードに一同抱腹絶倒し, あっという間に予定の90分は過ぎてしまいました. Yさんは一生懸命カメラを向けていましたが, 写真が撮れません. 我々の熱気についにカメラも壊れたか, と思いましたが, 残り枚数を計算していなかっただけでした. 残念!これまた恒例となった, 肩を組んでの「遠い世界に」を歌い終えて, 三次会へと移っていきます.
三次会は宴会部屋として準備した320号室で始まりました. H君が携帯電話関連のレアグッズをここに持ってきたため,一同大騒ぎ. 当初二日目のバス車中で予定していたゲームを急遽することに決定しました. 皆から提供された景品獲得を目指して繰り広げられた真夜中のビンゴゲームも忘れられぬ思い出になるでしょう(写真10).他のレアものは,T君持参の全国裁判所絵はがきでこれも手に入りません.S君が持参してきた「獺祭ミニセット」もなかなかでした。明くる日には各自募金して頂いた事を付け加えておきます. こうして, 深夜1時過ぎても部屋のあちこちで「語り合って」いました(写真11,12)が, 今流行りの三原則:「止める, 冷やす, 閉じ込める」が適応される事態には至らず, 監視役をお願いしたK夫妻が登場する場面もなかったと聞いています.
前の日が遅かったにも関わらず, 皆元気一杯です(写真13). 前日にも増して晴天の中での「小田原城」見学は, 歴史が少しずつ分かってきた今の時代にふさわしかったかもしれません(写真14). この集合写真が「修学旅行」らしいという感想もありました. この後, 二人のS君を小田原駅で見送り, 新宿についたのは午後1時過ぎで, 皆さん家路についたのでした(写真15). 各自持参した飲み物やお菓子が処分しきれなかったのが唯一の心残りである以外, 怪我なく, 事故なく, 全てが予定通りに終えた事が幹事としては何よりでした. 皆様のご協力に厚くお礼申し上げます.
尚, 以上の概要は25期会長S君の依頼により, 今年の岐山会誌に掲載させていただきました.

「縁は奇なもの味なもの」といいますが, 高校時代のわずか3年間を共有しただけで, 40年繋がっています. 当初は年一回の再会を祈念して命名した「七夕同窓会」も, 何かにつけて四季折々に集まる会へと変わりつつあります.
来年の幹事は, 渡部隆文君と寺尾(吉森)啓子さんです.お二人の趣向を凝らした催しを楽しみにしています. 関東在住の方に限らず, 上京を合わせて, 皆様是非ご参加ください.
 
参加者を修学旅行風に部屋別に書いておきます.

319号 岩城頼子、村上陽子、河戸満喜子
321号 清沢啓子、桑原学子、玉野裕子、田村ゆり子、
323号 寺尾啓子, 原田洋子、松本敬子、三宅誠子
318号 青木伸弥、清沢 晃、佐井利信、坂本邦彦
322号 高松勝治、辻 尚志、通山恭一
325号 戸倉三郎、原 成伸、平尾芳郎 
320号 松田義雄、渡部隆文、渡辺健太郎

(写真1)                            (写真2)

(写真3)

(写真4)

(写真5)                            (写真6)

(写真7)                            (写真8)

(写真9)

(写真10)                           (写真11)

(写真12)                          (写真13)

(写真14)

(写真15)

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